こんばんは。
yuruhiraです。
今回のテーマは
「嫌な相手は自分の写し鏡」それって本当ですか!?
です。
嫌な相手や出来事は写し鏡!?
人生の課題が目の前にあらわれる。
乗り越えられない分だけの試練しか来ない。
自分と似ているから嫌いになる。もしくは、ぶつかる。
嫌な相手は自分の写し鏡だから、内面を見つめよ。
それって、本当なのかしら???
ふむふむ、、、
私の結論としては、
当たっているが、解釈の仕方にはいくつかタイプがある、です。
解釈のタイプ
嫌な相手、嫌な出来事が現われるのには、自分の写し鏡というのは当たっていると思うんですが、その解釈のタイプとしていくつかあるな、という結論に、私は至りました。
もちろん、「いま、この時点」での結論というだけですけれど。
氣づいていない側面の写し出し
まずは、自分が氣づいていない側面を写し出しているタイプがやはり多いと思います。
内面を深くみつめないと感じ取れないパターンです。
表面では憤りを感じてますからね(^^;
でも、「あ、自分も同じことしてるじゃん」「思考のパターンが同じだ」とか、「嫌に思う理由をつきつめたら、自分を変える方向がそこにあるかも」とか、何となくでも感じ取れたら、素直に認めるのが楽です。
私は子供たちとの関係がまるきりこれでしたね。
高校生になったくらいからですか、ずっと怒ってたんですよ、、、
その頃から夫と義父母とは別居し、娘と息子と3人で暮らしていたんですけれど。
何に一番怒ってたんだろう?
と考えた時に、
家事を全くしていない、氣づいてくれない、そのことがメイン。
ほんとに憤ってたし、内心悲しかったんです。
でも、そんなの、手抜きしたって何にも困りはしないことだったし、私もできてないことも沢山だったんですよ。
きっと子供たちは、「あなた(母である私)もできてないじゃんか!」って思ってたかな~
きっと、完璧主義的な凝り固まった考えがあるよ、氣づけ!ってことだったんでしょう。
結局、私に氣づきは起こらないまま、今は一人暮らしなのですが(別居継続中~)
あの頃はきっと、
「もっとちゃんと家事をやれるお母さんでいたい」
と、心の奥深くで思っていたんだと思います。
理想の家族像、母親像というのが、私にもやっぱりあって。
でも、何も叶っていない、しかも、自分のわがままのせいで、って、自己肯定感を下げ続けていたのかな。
子供たちは十分なほど良く育っていたのに。
結構自由もあったのに。
そこにも氣づけてなかったんですね。
あ~
今、私の中の何かが癒されました。
嫌なことを感じたあとに、自分の側面に氣づけたら、その感情を認めて、抱きしめてあげて、しっかりなぐさめて、そして手放す。
それでいいみたいです。
氣づいたことが天晴れ🙌
相手の課題に巻き込まれている
ふたつめに氣づいたのは、父が入退院をしている時。
父の言動に苛ついたり、嫌になったり、悲しくなったりしていました。
「なんでわかってくれんの」「こうしないと退院しても困るだけなのがわからんの」とか、逆に、神経質なために病院で眠れないという父に合わせて「この状態で家につれて帰って面倒みないといけないのか」「私の方がおかしくなるかも」とか、、、
姉弟もいるのに、一人で抱え込んでるかのような思考になっていて。
嫌な出来事が増えていっていたし、父が嫌な相手になってしまっていました。
相手の人生の課題なのに、その感情に巻き込まれてしまっている
そのことに「ふと」氣づいた時に、力が抜けました。
「ふと」という時は、守護存在に氣づかせてもらった、ということなんですけれども。
父の一方的な発言から心の距離を置くことにしたら、すんなり事が進みはじめました。
部屋が変わったり、父と合うリハビリの先生が担当についたり。
まあ、その後もいろいろあるのですが、このパターンだ!とすぐにわかるようになって、すぐ手放せて、ほんと、楽になりました。
過去生やソウルメイトのカルマ
もうひとつは、嫌な相手に関して、過去生で自分が同様のタイプだった、または、今生と同じパターンで絶対に許せないままに終わった、ためにカルマとなったタイプがあるかなと思います。
今生の自分からは想像もできないカルマかもしれません。
他の世界で暮らしているソウルメイトのカルマがきていることもあるようなので、そりゃあ地球では理解しがたいパターンになりますよね。
3次元の物質界の方がカルマを解消しやすいので、それを請け負っているのですって。
(参照:約束してきたスターシード達へ 下記にご紹介しておきます)
これはもう、苦しい流れも受け入れて、淡々とこなすしかないでしょう。
でも、カルマを解消する流れがきます!
その時に躊躇せずに進むことが大事だと思います。
私のパターンとしては、男尊女卑的な男社会が超、超、超、嫌!ということです。
小さいころから。
誰かに思想をうえつけられたわけでもないのに。
だから、いまのおじいさん政治家も嫌い。
男社会になりにくい看護師を職業に選んだのもそれも理由のひとつかも。
でも、昔の偉ぶってる医者も嫌い(笑)
きっと、過去生で、卑下されたつらさを抱えたまま、心が締め付けられたまま終わってしまっております。それはなんとなく感じられています。(過去生の説明はややこしいので、ここでは割愛します)
同じようにみえるパターンでも、場合によっては、自分が男性側で、そんな女性の苦しみを理解できないままだったタイプもあるでしょう。
もちろん、高次元宇宙ではあり得ない状況なので、なぜそんな考えになるのかが全く理解できない、という、直通スターシードの場合もあるでしょう。
話を戻しまして。
私は、男尊女卑の名残がめちゃめちゃ残っている地域に嫁ぎまして、それはそれは憤慨することも、面倒なことも多い日々でした。(夫は違いましたよ)
そして、ある切っ掛けがきて、別居を開始しました。
きっと、
周りからどう見られるかという怖れ、よく見られたいの思考、それらをはねのける勇氣を持ちなさい!
自分自身の本質に氣づきなさい!
自由に向かって飛びなさい!
飛ぶまで続くわよ!(笑)
という課題(カルマ)だったと思っています。
その頃に比べれば、今は心身ともにかなり自由です(#^^#)
これから、もっと、本質の自由に向かっていきますよ~
おわりに
まとまっているかどうかはわかりませんが、結構自分を開放しながら書けたなぁと、ちょっと感慨深いです。
ちょっとした説として、ご自身にしっくりこられるところがあれば参考にしてくださいませ。
嫌な相手というのは、自分の内面やカルマを写し出して、成長を助けてくれる存在である、ということが宇宙の本質ではあります。
が、しかし。
自分が苦しいのに、無理にそれを考える必要はありません。そうしなくちゃいけないと思うこともまた違う。
自分の心地いい方、しっくりくる方へ、が、最優先です。
もし、100%感謝できるようになっちゃったら、もう、地球を卒業しちゃいますしね。
最後までお読みくださって、ありがとうございました。
ではでは~