内なる神を慈しむ

-ありのままに-

ジャニーズ年表完成直前SPが面白かった^^~TOKIOカケル~ 来週(20190612)はジャニーズ歴史総ざらい!

 

ジャニオタにとってはたまらないTOKIOカケルのジャニーズ年表!

この年表完成へと来週は東山紀之さんが(すみません💦植草さんでしたね😅)ゲストでこられるとのことで、今回はこれまでの総勢23組42人のジャニーズ出演時の総ざらいでした。

トキカケでしか語ることのできない、ジャニーズの知られざる歴史です😃ほとんど見てるはずなんですけど、いくつか記憶にないものもあって、見ていて面白かったです。

 

さすがにすばるくんの写真は取り外されており…

わかってますけど、やはりさみしぃ…

この寂しさは一生もんで解消されることは無いことですから、仕方ないです。時々このブログで寂しさを語ることはあるかもしれませんが、基本前向きです✌️

 

来週のために、今回は総ざらいに出ていたメンバーの話だけですがまとめておきます。(まとめているうちに思わぬ長さになってしまっています…2回にわけることに致します。)

 

 

TOKIO&V6

 

光GENJI・SMAP・TOKIO・V6の、どのグループでデビューしていてもおかしくなかったデビューまでの苦悩を告白しています。

 

長野くん(1986入所)

 

一番入所が早いのは長野くん。

『光GENJI』のローラースケート練習に参加していたと😲

あとでジャニーさんに「YOU入れればよかったよ」と言われていたらしいんですよ~ジャニーさんも後悔することあるんですね😃

ほんとにどこでデビューしてたかわからないというのが正直な所なんですよね、みなさん。

 

 

坂本くん(1988入所)

 

坂本くんは『TOKIO』のサポートボーカルだったそうで、皆うっすらと坂本くん、TOKIO入るのかな…と思っていたみたいです。

太一くんと一緒に『SMAP』だった時期もあるそうですけれど。

本当に『TOKIO』に入る一歩手前だったみたいで、ジャニーさんから打診されていたけど、楽器主体のグループというので迷いがあって、デビュー発表前日に「入る」と連絡したと。そしてジャニーさんから「YOU遅いよ」と言われたという話。

それは、まぁ、そうですよね…どう考えても遅いです🐌💨💨

けれど、トキカケならではの裏話があって。

城島リーダーの所に、デビュー発表前日ジャニーさんから「坂本どう?」って電話が入っていたという告白がありました。「え、明日だよ?間に合うの?間に合わないよね?」って全うな答えをリーダーはしたようですが…

一応ジャニーさんは迷って確認をとってみたようで、坂本くんをデビューさせてあげたい思いはあったんでしょうね。

 

 

長瀬くん(1990年入所)

 

長瀬くんは、まだTOKIOに入ってなかった頃『KinKi Kids』の二人と一緒にデビューするウワサがあったということです。

それは、ファンの子から勝手にひろまっていったウワサだったと光一くんが言っていましたが、井ノ原くんも加えて4人で"ジパング"としてデビューすると。

だから勝手にKinKi Kidsの二人とグループになんだなと思ってたんだそう。

そこで太一くんが「うれしかった?」とひく~い声で…(笑)

「………うれしかったっすね」

「先輩たちと同級生だったら同級生取るに決まってんじゃん!」(まだTOKIOでもないし、中学生のガキだし…って 笑)

 

「そんな中で(TOKIOの)ボーカルやったんだから‼️‼️‼️」(爆)

 

長瀬くん、ホント苦労したんだね。

ずっと敬語ですもんね…😅

でも、だからこそ大成功したのかもしれません😌

 

 

V6の明らかなグループ内格差!

 

これは当時ジャニオタじゃなかった私でも知っています。トニセンとカミセンの格差問題!

年齢も一番上と下で10歳違うんでしたよね⁉️

年下グループから無視されるとかいう話も、面白おかしくしていたような覚えがあります😄

デビューCDのジャケットであんなに大きさが違うのなんて、今でも笑うしかないですよね😅

『V6』という名前と同時についた『Coming Century』(三宅くん森田くん岡田くん)という名前。他の3人の名前はなくて「V6のアダルトチーム」だったと話す岡田くんの楽しそうなこと(笑)

20th Century』という名前がついたのは5~6年後だったそうです。

そして、カミセンは車移動なのにトニセンは渋谷駅集合(電車で)とかもあったと…これこそジャニーズの不思議と言わずにはおれませんよね😅

 

MUSIC FOR THE PEOPLE/THEME OF COMING CENTURY

MUSIC FOR THE PEOPLE/THEME OF COMING CENTURY

  • アーティスト: Coming Century V6,V6,Coming Century,秋元康,A.LEONARDI,JYONNY.K,JONNY.K,木村貴志,星野靖彦,カラオケ
  • 出版社/メーカー: エイベックス・トラックス
  • 発売日: 1995/11/01
  • メディア: CD

 

 

 

嵐&斗真&関ジャニ∞

 

嵐はなぜこの5人になったのか?

 

ここからは私としては知っている話ですが、これまで聞いてきた中でどれがホントの時系列なのか?はわからなくなっちゃいますね。

もちろん本人たちの記憶も曖昧でしょうし、印象づけるエピソードとして脚色されてきたものも少しはあるかもしれませんし。

オンエア当時も、潤くんが一人でエピソードを話すことはなかなかないので、新鮮なかんじだったな~😊

 

ニノと松潤がリハのために早めに行ったNHKでのバレーボール🏐

中学生くらいの子達が50人くらいバレーボールをやっていて、ジャニーさんから、来たんなら(バレーを)やってみるよう言われてその中に入ったんだそう。

そこで二人だけがずっとパスを続けられて上手かったので、ジャニーさんが目にとめて、次のワールドカップバレーイメージキャラクターを「YOUたちやればいいじゃん」となったと。

その二人の中に、次に翔くんが入ってくる。(元々ジャニーさんは翔くんとニノで何かをやりたかったようだというニュアンスも前に聞いたことがあるような気がします)

3人でずっと話をしていて、レコーディングのタイミングで「キレイなバラードが歌いたい」となって、大野くんが呼ばれ…

大野くんはもうジャニーズやめようと思っていたから「レコーディングを手伝って」とだまされてきたんだけど、大野ソロパートがあることにヤバイと思い、レコーディングは来たからやるにはやったけど、その後2週間くらい、何の電話にも出なかったんですよ…

 

それから20年…ほんとに頑張ってくれましたね✨大野くん✨

これから自分を充実させて、また頑張ってくれますよ、きっと!

 

このエピソードのオンエア時は、もう休止にむけての話が決まっていたと思うので、今見ると、松潤の表情が切なくしか見えません…😢

 

さ!次に進もう!あと一人まだ出てきてないから😄

 

そして相葉ちゃん。

4人で振り付けとかをちょっと始めていたら、ジャニーさんが現場にきて、ニノに「YOU 相葉とずっと一緒にやってるのに入れてあげなきゃかわいそうじゃん」って言ってすごい怒られたって(笑)

いやいや、俺らにその権限はないよっ!と、二ノはよく言ってます😊

 

今まで他で聞いてるエピソードでは、ハワイ会見の3日前に相葉ちゃんに連絡があって加入が決まったということなんですよね😊

たぶん、相葉ちゃんに3日前に連絡があったのは本当のようで、パスポートある?ってまず聞かれて、僕が持っていなかったら嵐には入れていなかったかも…と話しています。

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生田斗真(1996入所)

 

Jr.内ユニットで「MAIN」(松本・相葉・生田・二宮)というグループがあって、"第2のキムタク"とデビュー当時言われていた生田くんは、自分がメインだと思うくらいの感覚はあったようです。

部活感覚でワイワイ楽しくやっていたところに『嵐』がデビューして格差がついていくことで、これは仕事なんだって思えて鼻をへし折られたとのこと。

その後も昨年末のジャニカンで滝つばを送り出すときに全力だった、バックによくついていた「4TOPS」(山下・生田・風間・長谷川)にも所属していましたし、CDデビューは目指していたと思うんですけれども…

2002年の松岡くんとの舞台からお芝居をメインにするようになり、CDデビューしなくても昔の仲間と同等にわたりあっていけるようになりたいと思っていたとのことでした😌

斗真くん主演映画の主題歌を関ジャニ∞が歌ったり、嵐のコンサートでその曲のプロモーションビデオなみの映像で出演してくれたり、今は、双方嬉しいことでしょう✨

 

 

錦戸亮(1997入所)

 

デビュー前に退所を考えたことがあるという錦戸くん。

調子にのってしまっていたのを見抜かれたのか、高校生くらいの時に全く仕事に呼ばれなくなったと。(本人の解釈)

そんな時にMステに出て歌っている安田くんと丸山くんを見て、もう辞める…辞めてちゃんとした仕事をみつけななと…とまで思ったそうです。

それを救ったのは安田くんの一言だったと。

電話で安田くんに辞めると伝えたら、自分達も今まで、そうやって錦戸くんをテレビで見てたんだと…もうちょっと頑張れよ…みたいなことを言われて、もうちょっと頑張ろうとなったと。

 

これよりもっと前、錦戸くんが事務所に間違った電話番号を伝えていて連絡がつかなくなってしまったとき、安田くんがいろんな人に書いてもらっていた連絡先の手帳が(プロフィール表かな?)役に立って、連絡先を知らないか聞かれた安田くんが教えたというエピソードもありますからね😄

 

関ジャニ∞は錦戸くん、安田くん、大倉くんが同じオーディション日なんですよね。そして、渋谷くん、横山くん、村上くんの先輩3人も同じ日。

丸山くんはなんとその両方と同じ日です!なぜなら、オーディションを2回受けているから!(受かってるのに連絡ないから、もう一度受けてもう一度合格した)

 

安田くんはリーダーの素質のある人で、デビュー後のキャラクターは本意ではなかったと思います。次の大倉くんのエピソードにも出てきますが、本当に気配りができて仕事にも厳しくて、そして仲間を大事にする人です。

安田くんがいなかったら、関ジャニ∞はあのメンバーで成り立っていなかったのかもしれません。

 

 

大倉忠義(1997入所)

 

安田くんのおかげで一番辛かった時期に救われていたんだという大倉くん。

大倉くんの一番辛かった時期はJr.時代で、まだ関ジャニ∞ではなかったころ。2002年に関ジャニ∞メンバーが主演を努めた舞台でも、Jr.として、島の住人の一人でしか出ていなかったんですが…

島の住人が皆でいう一言のセリフ、TOKIOさんのノリが面白かったですね~😄

「この島から出ていけ~」(予想と違い低い声での渋いセリフだった)

 

ある時ドラムの子が辞めるとなって、安田くんがジャニーさんに大倉くんを推薦してくれ、ドラムはできなかったのに、1ヶ月後の本番のために必死に練習してジャニーさんに見てもらい、そのポジションに入ったと。それが関ジャニ∞に最後に加入したエピソードです。

 

実はその数年前に、ジャニーさんからバンドをやらないかとの打診はあっていたのですが、ダンスなど正統派ジャニーズが夢だった大倉くんはそれを断ってしまったという話があります…

それから仕事も少なくなったと話していましたし、安田くんがくれたチャンス(もちろん安田くんは、大倉くんの素質や努力家であることに期待していたわけですが)があったから、今があるんですよね。

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TOKIOさん:「安田に来てもらわないとね!」

 

そのことばが実現する日はいつかな~

今回思いっきりオンエアに乗りましたから、きっとそんな機会がこれからあることでしょう!

楽しみにしてますよ~✨✨✨

 

では、part1はこれにておしまい。

 

 part2↓

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