内なる神を慈しむ ✨

-風の時代の変容-

スターシードだからなの?~子供時代、体の弱い、珍しい病気をする子でした~

 

今回は、スターシードだと気づきいた私の子供時代からの身体の話です。

考えれば、珍しいと言われることであったかも、、、

 

子供時代から、身体に起きてきたこと

 

最近、長年抱えている喉のつまりの意味が、やっぱりそうなんだ…という意味でわかるようになってきました。

そんな中で、子供のころの自分を思い出しています。

 

身体の弱さ

 

私の幼少期の写真は、ほとんど首に巻物をしています。

扁桃腺が腫れてよく高熱を出しており、喉が弱いことは明確でした。昔の言い伝えといいますか、ネギを布でまいて、喉にスカーフのようにまいて症状を和らげるということを、祖母や母がやってくれていました。

たぶん、ネギの香りがスーッとした感じを与えてくれていたように思います。

 

 

珍しい病気のオンパレード

 

小2の時には、何日も高熱が下がらず、父があまり気にすることがなく車を出してくれない中で、母が背負って病院に連れて行ってくれたのを覚えています。田舎ながら案外近くに町の病院があったこともあるのですが、祖母が父のことを嘆く中、母に背負われていたのを覚えています。

苦しい感じは覚えていないのですけれど、その後小児科へ転院となり入院。とても大きな注射を何本もされました。(点滴のかわりだったのでしょう、静脈注射なので痛みはありません)

肺炎だったと聞かされていたのですが、最近、叔母から、それがマラリアだったことを聞かされました。

いつの時代のことですか!?と自分でも不思議に思いながら聞いていたのですが、それ以降も、周囲の子供はかからない珍しい病気ばかりをしていたと。そこは、自覚もあります。

   

 

小学校高学年で、帯状疱疹となり(ストレスが強く影響する疾患で、その頃、子供がかかるようなものではありませんでした。)、水疱の湿疹が出て「痛い」ということを話すと、そんなわけないでしょ…と疑われ…(それは知識がないので仕方ないのです)

受診した外科の先生から「痛いですよ」とお墨付きをもらって治療したり(笑)

 

適状乾癬という、何らかの菌により発症する(扁桃腺が関係している可能性が高い)皮膚疾患にみまわれたりもしました。

 

線維筋痛症

 

そして、小学生のころからあった肩こり、中学時代からよく出ていたぎっくり腰(のような腰痛)、就職後に生じた突然来る背中の痛み、、、

これらは、2年前にやっと「線維筋痛症」であることがわかりました。

この疾患については、きっとお悩みの方も多いと思われますので、後々記事にできればと思います。

 

薬嫌いだった過去

 

そんなこんな、線維筋痛症や乾癬が悪化してしまう可能性もあったのですが、これこそ、スターシードの特性であるのではと思えるくらい、薬に対して結構な抵抗があり、というか、自己免疫力が大事だとの見解をなぜか昔から持っており(誰かに言われたわけでもありません)出された薬をちゃんと飲まなかったりしたものです。

しかしこれは、間違っている部分もあったと今は思っています。なぜなら、現在の治療がとても楽になれるものだったからです。

 

小学生時代から部活動で運動を続けていたことが、私にはいい環境となっていたことは間違いありません。痛みで動けなくなる繊維筋痛症ですが、基本は運動をすることが大事と言われます。

中学時代は不調時にはストレッチを毎日続けること、高校時代には、扁桃腺にきく針治療を行っている方との出会い、就職後は、イオン周波数の電子治療などに出会って、ひどくならずに経過しました。

 

それでも私は医療職

 

それでも、ついた職業は「看護師」

しかしながら、一昔前の薬を大量に処方することで儲けが大きくなる医療制度と、そのために必要ない薬を処方する医療にはほとほと嫌気がさしていたのですが、医療が悪いとは思っておらず、患者さんの人生をどうフォローできるかということに大切さを感じていました。

本当は助産師になりたくて、「命」をテーマにしている人生であったのですが、上記のように痛みを生じる疾患持ちであったため断念し、身体的負担は少ない、現在の精神看護の道に入ることにしました。

そんな中で「認知行動療法」という、うつ病治療の心理教育に出会い、これがまた、ストレスが大いに関係する線維筋痛症を悪化させないでいられた理由だと思っています。

考え方が変われば人生が楽になる、まさにそれを実感しましたから。

そして現在は、うつ病の方の復職に向けたプログラムに関わらせていただいています。

その中でマインドフルネスを勉強するなどしており、ヒーラーやセラピストとしての道を、医療職として以外でも見つけられたらという気持ちでいます。

 

きっと地球が苦しかった幼少期

 

高熱やさまざまな病気をしていたのは、きっと地球が窮屈で、自分を押し殺さないといけなくて、苦しかったのだと思います。何も言うことができない、なんで苦しいのかもわからない幼少期ですから、全部身体症状として出ていたのでしょう。

そんな中で幾時代も生きてきて、きっとカルマも背負っていたに違いないと思います。

     

 

そのような体験はありませんか?

 

みなさまも、そのような体験はありませんか?

というか、過去のこと、結構忘れているものです。

たまに振り返ってみることもいいと思います。

そしてできれば、幼少期のことをご両親に聞いてみることで、新たな気づきがあるはずです。自分で驚いてしまうような出来事もあると思います。

ちなみに私は、ほんの数年前、父より、2歳の時点で絵本をスラスラ読んでいる子だったと聞かされました。きっと前世も日本人だったのでしょうね😊

上記エピソードにもありますように、一般の父親像とはかけ離れた変わった父です。あわないなと思いながら暮らしてきましたが、母が亡くなった後で、そんな話を時々するようになりました。

そんなこんな、わが身を振り返ってみました。

悩めるみなさまのお役に、少しでもたてれば幸いです。

 

喉のつまりについて

 

喉のつまり現象については、また次に、シンクロな事象とともにお話ししようと思います。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。