内なる神を慈しむ

-ありのままに-

生きている時間全てが「迷い」と「決断」

 

生きている時間全てが「迷い」と「決断」

その繰り返しである。

事の大きさの大小はあるだろうけれど、人間はいつも迷っている。迷いながらも決断して、そして決断したあともまた迷う。

そしてそれは、成長していく上で不可欠なものだと考える。

 

この学校で良かったのか?

この仕事で良かったのか?

この結婚は正解だったのか?

今の生活で私は納得できるのか?

子供ができるとまた、親としてもその繰り返しである。

 

この無限ループについてのそれぞれの答えは、死ぬときまで出ない。

だから、決断したことについて考えすぎても仕方がないことなのだけれど、それに気づかずに後悔ばかりが先にたつ人もいる。

迷いすぎると人は弱ってしまうのは確かで、結局いつになっても先に進めずに自分はダメな人間だ…となってしまう。

そんな時は「ま、いっか!」の精神が自分の心にとって重要になる。

 

私の生き方は、世間からしたらあまり誉められたものではないと、自分では思っている。

なぜなら、若い頃は、心の負担が大きくなるとパンッと飛び出してしまうことが多かったからだ。周囲からしたら「我慢が足りない」と見られていると思う。

あまり悩むことなく、相談することもなく、勝手に決断して行動をしてしまっていたように思う。

 

自分で分析する限りは、昔の風習、男尊女卑、非効率なことをいつまでもやっている、そんなことが嫌で嫌で、周りにどう思われようが、そんなことを我慢してやり続けることができなかった人間だったと思う。勤め人には向かない気質だろうか。

 

でも、大人になるにつれ、周囲の状況が少しわかるようになってきた。人はそれぞれ、色々なんだと考えられるようになり、嫌だと思うことの閾値も随分下がってきた。

そして、その嫌な原因をなくしていくために自分には何ができるのか?と考えながら行動できるようになった。

お!

大人になったね~(笑)

でもそれは、お給料をいただいている職場であるからかもしれない。

だってプライベートでは、子供たちも独立して、ますます自由度が増しているから!(イケイケ)

 

今、そんな過去を後悔しているか?

と問われれば、あの時こうしていればもう少し違ったかな…とちょっと振り替えることもある。

でもそれは、今後の人生に生かすためであり、もう少し考えてみようと、冷静に「決断」するようになるためである。

だって後悔しても仕方ないから。

過去の時間は戻ってこないから。

だから「ま、いっか!」と、次の未来をみることに思考を変えていく。

「決断」した後に「迷い」が出ても、それはごく当たり前のこと。

その時に、後ろではなく前を見て次の「決断」をすることが、自分の心にも優しいことであり、死に直面したそのときに「いい人生だったな」と言える一歩であると思う。

 

「いい人生」もまた、人それぞれ。

自分は我慢しても、人のために生きることがいい人生だと考える人もいるだろう。若い頃との価値観が180度変わる人もいるはずで。

 

だから、「迷い」にしても「決断」にしても、今、「自分が死んでしまうその時に、いい人生だったと思えるのはどっち?」という想いにブレずに、人生を送っていきたいと思うのである。

 

 

投稿おわり。

と、これでちゃんと投稿できているのかよくわかっていない私ですが…不備があったらすみません。

はじめてブログのお題というものに沿って文章を書きはじめ、なんとなく綴ってみましたけれども、求められている詳しいエピソードを載せる決断は、私にはできませんでした。

なので自己満足で終わっちゃうけれど、自分の心の整理にはなりました。たまには真面目に取り組んでみるのもいいですね。感謝です。