遅ればせながらクロニクルFの感想です。
26歳ターニングポイント説
人生のターニングポイントが26歳という説があるそうで…
博多大吉さんが著書も出しているんですと。
全く知らなかったんですが、発売日は2014年↓
各業界の、26歳
とんねるず、ダウンタウン、ウッチャンナンチャン、ナインティナイン、それぞれを代表する冠番組が始まったのが26歳。(みんな、同級生コンビですっけ?)
さんまさんが無名時代に代役でブラックデビルをやったあと、評判良くてそなままレギュラーになったのが26歳。
志村けんさんがドリフターズに後から入り、認められるきっかけとなったのが東村山音頭を出したのが26歳。
野茂さん、イチローさん、松坂さんがメジャーに挑戦したのが26歳。
他にも、矢沢永吉さんがバンド解散してソロに。長淵剛さんが初ドラマ主演。前沢さんが経営者に。スティーブ・ジョブズが創設したアップルから企画担当をはずされた…などなど。
中にはちょっとムリクリ感もありますが😅
関ジャニ∞の26歳
ということで!
関ジャニ∞それぞれの26歳の検証です。
ここがはまったから企画になったのだから、めっちゃ出てくるはず!と思いつつ見ていると、やはり出てくる出てくる😊
横山裕の26歳
横山くんの26歳は2007年。
まず、ドラマ『拝啓父上様』
二宮くんとの共演作品ですが、ヨコの評判もものすごくよかったドラマです。私が嵐ファンクラブに入った年ですが、ファンになる直前のドラマだったので当時レンタルして見ました。
倉本聰さんのドラマでいい経験を積んだんですね、きっと。
お芝居が好きな横山くんのことです。ターニングポイントだと言えるなぁと思いました。
ちょっと話はずれますが、嵐×∞のドラマ紹介してます↓
そして、初ソロコンサート 。
そのあとの2回のソロコンにつながっていった始まりの年であったということで、最後のソロコンを見に来てくれた後に亡くなってしまったお母さまへの想いを語ってくれました。
『おにぎし』の曲名も出して、語れるようになったんだね…と、ちょっと無理している感じもあったけれども、横山くんの心のためには良いことだと思います。
村上信五の26歳
村上くんの26歳は2008年。
ひとり舞台の始まりの年。
これはほんとにターニングポイントとして、今、言えることですよね。この舞台の継続で、今の村上くんが仕上がったに違いないと私も思うので。
すばるくんと二人で続けていこうと約束してたのに、次の年には「今は舞台とちゃうねん」と言い出したすばるくんがいたと話してくれてましたね。あの子は自分のやりたいことをやってきたから人気もあったんやろうしね…とやさしく包むヨコの言葉もあり。
(それ聞いて逆にどよ~んとしたのは私だけかもだけど…辛辣⁉️)
丸山隆平の26歳
丸山くんの26歳は2009年。
丸山くんもはまりこんでましたね、ターニングポイント説に。
初連続ドラマ『歌のおにいさん』出演。これも嵐×∞作品です。誕生日が同じな大野くんといっしょ。ほんとは役者の仕事を第一にしたいんじゃないかなと思える丸山くんですから、立派なターニングポイントではないでしょうか。
それと、大阪での上沼さんと初MC番組をやったこと。
たくさん学んだみたいですし、きっとそこから今のサタプラMCにもつながってるでしょうし、おすし(笑)
そしてそして、初の独り暮らし開始。しかも大阪で。
そうだったんだ!
私、今の今まで、丸ちゃんは上京するまではずっと京都にいたんだと思ってました。
知らなかったなぁ…ごめんなさい😆
頑張らないとと東京に上京した他のメンバーに抵抗してたんだね~「関ジャニなのに何で東京に行くねん」って。
のちのち、テレビ局などの立場からみて、東京にいないことで逃すかもしれない仕事の大きさを信ちゃんに諭されて上京するんですよね。
関西への愛!だったんですね❤️
安田章大の26歳
安田くんの26歳は2010年。
手話を始めた年。
スキューバダイビングを本格的に始めた年。
のちに、それぞれ資格をとるまでになるのですけれど。この2つの資格を取った理由が、ろうあ者の方がダイビングを出来るようにショップを作りたいと思っていて、事務所にも許可をちゃんともらっていたということにビックリしてしまいました。
すごいなぁ。
頭の手術の影響でダイビングは出来なくなってしまった安田くんなんですが、今後、このことを大きく飛躍させる時がくるかもしれないと…
そうなったら、まさに26歳がターニングポイントだと。
しかしながら安田くんは、自分にターニングポイントという考えはない。毎日がターニングポイントだと言いきりました!(企画が…笑)
そしてこの年、雑誌で「サルへ、ここまで進化してくれてありがとう」の言葉を残したと(爆)
ヤスのヤスたるヤスがここにいるな…by信五
大倉忠義の26歳
大倉くんの26歳は2011年。
2011年かぁ。
私が関ジャニ∞のファンクラブに入った年。
東日本大震災のあとだったんだなぁ…なんか記憶がごちゃごちゃかもしれないです。
関ジャニの仕分け∞が始まった年。深夜ローカルからだったんですけど、あっという間に全国放送になったんですよね…
この仕分けで一番飛躍したのが、まさに大倉くんでした。
『太鼓の達人』です。
大倉くんがコロナに罹患したニュースの歳、職場の男性スタッフが「あの太鼓の人でしょ⁉️」と言ったことが最近の出来事。
それくらいすごかったんですよ。
大倉くんの極限の集中力、ここから発揮されてきたのかもと。
関ジャニ∞の軌跡
では、それぞれが26歳だったとき、関ジャニ∞はどうだったのか。
2007年(ヨコ)
『ズッコケ男道』をリリース。
「大阪」がタイトルにつかない初のシングル。関ジャニ∞の代名詞的な受け継がれているヒット曲。大抵の人が踊れません⁉️
『47都道府県ツアー』完走。
そのライブ中、タキツバが24時間テレビをしていたバックにKAT-TUNがいて、くそっと、テレビ出たいなぁと思っていたと。
2008年(ヒナ)
『無責任ヒーロー』リリース。
これは最高売上曲。何かエピソード話してたのかもしれませんが、オンエアではなし。
2009年(マル)
初の単独カウントダウンコンサート。
ここもエピソードのオンエアはなし。
2010年(ヤス)
『LIFE~目の前の向こうへ~』リリース。
ここはまさに、この曲からバンドへと発展していく関ジャニ∞のターニングポイントです。
2011年(たつ)
この年はほんとに関ジャニ∞が大飛躍をとげた年。東日本大震災後の24時間テレビパーソナリティ、ほんとに感動しました。
初五大ドームツアーもこの年。
私はそこで初生∞に会いました。
こなブログの過去∞ゴトを見ていただけると、ブログ立ち上げ前の思い出が詰まっています…今以上につたない文章ですけれども良かったら読んでいってくださいね。